KOBE MOTOMACHI 1st STREET 神戸元町1番街

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ホンモノ志向の根っからの神戸人が集まる街 神戸元町1番街
元町1番街について

元町の歴史 昭和

近代史の中で、最も激動であった昭和の時代。元町商店街には「すずらん灯」が立ち並び古き良き時代を彩りました。しかし、世界は世界恐慌が発生し、日本国内も不安定な状況の中で元町は阪神大水害に見舞われました。戦争の足音が近づいて来る中で、やがて日本は悲惨な戦争へと参入していきます。

太平洋戦争と神戸大空襲

昭和の時代になり、元町は「すずらん灯」の設置とともに益々華やかに光り輝き神戸の人口も100万人を超えますます発展しくようかに思われました。しかし、昭和12年(1937年)に日中戦争が勃発。同じ年に締結された「日独伊三国防共協定」を受け、日本を親善訪問したナチス青年組織「ヒトラー・ユーゲント」が元町商店街を行進しました。昭和13年(1938年)には国家総動員法が公布され日本全体が戦時体制に入りました。昭和15年(1940年)には「日独伊三国同盟」が締結され悲惨な太平洋戦争へと突き進んでいきます。
戦争が長びくに連れ日本の戦況は悪化の一途をたどり、昭和20年(1945年)3月17日と6月5日の2日に分けて神戸は米軍の爆撃機B29の空襲を受けました。元町商店街はこの空襲で焼失し壊滅しました。終戦後、神戸市の人口は38万人弱となり、6割減となっていました。戦後、神戸市民の力強い立ち直りで、まったくの焼け野原から復興作業がなされ、元町商店街でも各商店会を再結成して、復興に力を注ぎました。

ジュラルミン街の完成

終戦後、元町商店街の3丁目で結成した「励商会」のメンバー63軒のうち、50軒あまりが参加して、昭和20年に店舗の建築に取りくみました。戦闘機を製造していた東灘区青木の川西航空機(現・新明和工業)甲南工場が空襲直前に松蔭女子中学校に疎開させていた航空資材を用いて建設を行いました。 ジュラルミン街の名前は航空機資材を由来しており、ジュラルミンはどのような金属よりもかたい架空の金属のことです。 同年12月に棟割りされている長屋敷建築で1階を店舗に、2階を住居にした建築物が完成しました。インフレ下の物不足で商品の仕入れは難航しましたが、店頭に並べると何でも売れたと言われます。このように徐々に復興に向かってきました。 昭和28年(1953年)には5丁目、6丁目にスライド式としては日本で初めてのアーケードが完成し、元町通は現在の姿へと近づきました。
大正
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